さとうさとうさとうさとうさとうさとう
2006年 08月 11日
ゆーれいは、いねぇだろ、まじで。
って事を、恋愛に絡めて言うと、
私はすげぇ佐藤が好きで、
それは、もう、「好き」とかゆー誰とでも分かち合える共通用語にするのはためらわれる程の、
激しい動揺と深い憧憬の相まみえる、それでいて憎ったらしいくらい確固たる概念「好き」。
「佐藤が好きで・・」という切り口で、この世界の全ての事柄に感想が抱けるぐらいで。
で、
夏の風物詩、ゆーれいについても、
私はすげぇ佐藤が好きで、 から始まる。
そう、私は佐藤が好きで、
その思いの強さは、男に裏切られて自殺したとか、婚約者に裏切られて身投げしたとか、そういう方々に並ぶ勢いがあって、
じゃあさ、どんくらい好きだったのマジで?
おめぇそのおでこの ▲ (三角巾?)取って話しよーや
っていう討論会が開かれたとしたら、
その色白の頬を紅潮させるくらいのとこまで行けるんじゃないかなって自信がある。
もし人の思いが、その強さで具現化して、
何かを呪ったり、何かに力を及ぼしたり、
そういう力があるのだとしたら、
私だって夜な夜な佐藤を抱きしめに行くぜ、パン屋の二階まで。
4年好きで、ワールドカップが始まって終わって、また始まって、そして終わった。
21歳の私から、22歳、23歳、24歳、25歳の私が次々とリングに立ち、敗れた。
成長したし、ちょっとさ、いや、まー誰にも言われないけど、ちょっと痩せたりもして、
髪だってショートからロングまで、一通り見せてみたけど、
佐藤の食指が動くことはまるで無かった。
そして4年が過ぎて、今、好きな人ができそうだ。
好きなんだろうと、思う人がいるが。
例えば、私の頭の中には、「好きな人」っていう椅子がでーんってあって、
そこには4年間ずっと佐藤が座っていて、
今、その椅子を奪還しようとする人が現れて、
佐藤を押しのけて座ってしまう。
というような、事態が起こるのを、私は秘かに楽しみにしていたのに、
私の頭の中の佐藤は、
いつもの蒼白でやる気のない無表情な顔で、
椅子を立つと、どーぞとばかりに腰低く席を譲ってしまったのだ。
もみ合いの乱闘を予想してファイティングポーズを取っていた挑戦者も、
拳の行く先を失って、座ることもできず、椅子の横に居心地悪く立ちつくしている。
で、佐藤はというと、まるでベストジーニスト賞のごとく、ちゃっかり殿堂入りしている。
佐藤。
君についての、夢を語ろう。
今はね、医療情勢が厳しいからね、歳を重ねるとね、介護負担とかがすごくて、施設にあずけられたり、病院を転々としたりがざらなんだよ。
家族が「家でみるのは、もう無理なんです」って言うのを、私はもう数え切れないくらい聞いてきた。
佐藤と私の恋が成就するのは、今じゃない。とりあえず60年後。
2066年8月。
佐藤の嫁が、憔悴しきった表情で言う。
「私もこんな歳ですし、息子たちも自立して遠くに住んでますし、
私ひとりで、とても今の状態の夫を家でみていくというのは・・」
佐藤の施設入居が決まった日、
私は悪徳業者を頼み、佐藤を誘拐しに行くよ。
そして、私の家へ。
歩けなくていい。
失禁していていい。
喋れなくていい。
何もわからなくなっちゃってていい。
でもコレは佐藤だ。
間違いなく。
私は皮と骨だけになった佐藤の手を、カサカサとさすりながら暮らすよ。
そうして畳みの上で、佐藤を看取りたい。
私に手を握られながら、佐藤は死ぬのだ。
2006年7月。好きな人ができそうだ。それは確かで。
でも、佐藤は佐藤のまま。
佐藤を語ろうとすると、いつも日本語が足りない。
感情と言語の総対数の限界を、いつも佐藤で感じているよ。
by otosata0
| 2006-08-11 03:22